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悪女とは、悪い女のこと。

古今東西、悪女と言われる人物は存在していますが、
よく『三大悪女』などと言われる人たちは有名ですね。

日本の三大悪女は
北条政子、日野富子、淀殿の三人とされています。

三人とも時代の荒波に揉まれた、子を持つ母。

彼女たちは本当に悪女だったのでしょうか?
歴史の表と裏を彼女たちの観点から見てみましょう。

まずは尼将軍となった北条政子から。


嫉妬深くて情け深い政子

北条政子は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻で、
実家の北条氏は伊豆国の豪族で平氏に属する家柄でした。

平治の乱で頼朝の父・源義朝が平清盛に敗れて亡くなり、
頼朝は命を助けられて伊豆で流人生活を送ります。

ここで頼朝と政子は恋仲になり、娘が産まれます。

最初は反対していた父の北条時政でしたが、
このあとは頼朝の後ろ盾となります。


政子は嫉妬深い性格で、頼朝の浮気が許せなかったようです。

二人目の子を妊娠中に頼朝の浮気を知った時、
相手の女性の家を壊して焼き払い女性を追い払ってしまった。

一夫多妻が当たり前の当時としては結構過激な行動。
気の強い悪女と言われる理由のひとつになりました。


しかし嫉妬とは愛するがゆえの反応。
感情を抑えられないほど情が深い性格ということ。

それを悪女と言うなら、
世の中にどれほどの悪女がいることやら・・


一方、政子にはこんな一面もあります。

義経の愛妾静御前が捕らえられ、
義経を慕う舞を舞って頼朝の怒りをかった時、

政子はむしろ褒美を与え静御前をかばいます。
産まれた男児の助命嘆願もしました。

浮気相手に対する激しい怒りとは裏腹な慈愛に満ちた行動。

悪女とは思えない情け深さです。

 

愛する我が子を失い尼将軍に

頼朝の死後2代将軍となったのは、政子の長男頼家。
しかし頼家は18歳という若さで未熟。

合議制をとることにした北条家と対立し、
側室の実家比企家を重用して溝を深めます。

頼家が重病に陥った間に、比企家は北条家に滅ぼされる。
回復したものの頼家は出家させられ、後に暗殺される。


政権の安定運営のために北条家がとった行動の裏に
政子がいたのではないかという疑惑が取りざたされます。

しかしそれは推測にすぎません。

気に入らない点があるとはいえ、
実家を守るために息子を殺すとは考えられません。

しかもその時頼家には幼い息子がいて、
殺されるべきところを政子は助けて出家させたのです。


次に、3代将軍となったのは次男の実朝。

執権となった北条時政が実朝から政権を奪おうとした時、
政子はこれを阻止して時政を出家させます。

ところが後に実朝は
頼家の子に暗殺されてしまい政子は深く悲嘆します。

これで源氏の嫡流が途絶え、北条家が政治の実権を握る


あとは摂関家から傀儡将軍を迎えることになり、
第4代以降は、摂家将軍と言われます。

北条政子は実質的に将軍の代行を務め
“尼将軍”と呼ばれることに。


女だてらに政治の表舞台で権勢を振るったことも
悪女と言われる理由のひとつにあげられていますね。

でも女が政権をとるのは政子が始めてではありません。

日本の歴史の中には、推古天皇、持統天皇、孝謙天皇等々、
多くの女性天皇が存在しました。


頼朝が築いた鎌倉幕府を守るため尼将軍となった政子は、
悪女と言うより女傑と言うべきでしょう。

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承久の乱に勝利し幕府を安定させる

1221年、承久の乱

朝廷の権力回復をめざし後鳥羽上皇が挙兵、
執権北条義時追討の院宣を下す。

このとき政子は動揺する御家人たちを前に演説。
『吾妻鏡』にはこうあります。
     ↓

『皆心を一にして奉(たてまつ)るべし。
是(こ)れ最期の詞(ことば)なり。

故右大将軍(こうだいしょうぐん)朝敵を征罰し、
関東を草創してより以降、官位と云ひ俸禄と云ひ、

其の恩 既に山岳よりも高く、溟渤(めいぼつ)よりも深し。
報謝(ほうしゃ)の志浅からんや。

而(しか)るに今逆臣の讒(ざん)に依りて、
非義の綸旨(りんじ)を下さる。名を惜しむの族(やから)は、

早く秀康(ひでやす)・胤義(たねよし)等を討ち取り、
三代将軍の遺跡(ゆいせき)を全うすべし。

但(ただ)し院中(いんちゅう)に参らんと欲する者は、
只今申し切る可(べ)し者(てえ)り。』


これをわかりやすく言うと
   ↓

「皆、心を一つにして聞きなさい。
これが私の最後の言葉です。

亡き頼朝公が朝敵を滅ぼし、関東に政権を築いてから、
お前たちの官位は上がり禄高もずいぶん増えました。

すべてこれ、亡き頼朝公の御恩。その御恩は、
海よりも深く山よりも高いのです。

今、逆臣の讒言によって、理に反した綸旨が下されました。

今こそ頼朝公へのご恩を返す時。
名を惜しむ者は、逆臣を討ち取り、

三代にわたる将軍家の恩に報いよ。

ただし朝廷側につこうという者があれば、
それは構いません。早く行きなさい」


御家人たちは、かつて平家のもとでどう扱われていたか、
今は京都へ行って無理に働かされることもなく、

よい暮らしができるようになったことを思います。

御家人たちは政子の言葉に心打たれて動揺をしずめ、
一致団結するのでした。


承久の乱は、頼朝が築き上げた武士の政権,武士の利益を
守り抜く戦いだったのです。

幕府軍は大軍となって上皇軍に向かい、大勝利。

こうして尼将軍政子は鎌倉幕府を安定させたのです。

まさに女傑!


悪女と言われる理由として、時の上皇を流罪にした
という点もありますが、

権力争奪戦の結果としての流罪は当然の帰結。
珍しいことではありません。


後鳥羽上皇の野望を砕き鎌倉幕府を守った北条政子は
悪女ではなく、偉大な女性だったのではないでしょうか?

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