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日野富子はこれまで
日本の三大悪女の筆頭のように言われてきました。

しかし近年研究が進み、
定説を覆すような面が明らかになってきました。

応仁の乱のきっかけを作った悪女・日野富子は、
男以上の政治手腕によって応仁の乱を収束させたのです。


日野富子が悪女と言われる理由の数々

日野富子は、1440年(室町時代)、
藤原氏の系譜をくむ由緒ある日野家に生まれました。

日野家は代々の足利将軍家に正室を送り込む家柄。
富子は生まれながらの高貴な姫君でした。

8代将軍足利義政の正室となってから、

言動がまるで悪女の所業とみなされたのは
そうした背景ゆえの憶測でしょう。


* 嫉妬深くて義政の側室たちを追い出した。

* 我が子を将軍にするため応仁の乱のきっかけを作り、
 京都を焼け野原にした。

* 夫を軽視し政治の実権を握った。

* 節操なく蓄財した守銭奴だった。

* 困窮した民衆を踏みにじった。

* 天皇と不倫した。


なんといろいろ悪女らしく言われてます。

しかしこれらすべてが真実なのではありません。

噂話とは大げさに脚色されるものです。

実際はどうだったのでしょうか?


富子の所業の真意は?

まず
* 嫉妬深くて側室たちを追い出した、という点、
これは事実です。

義政の愛妾今参局が排除のメインでしたが、
ついでに4人の側室も追放したのです。


富子は結婚3年目に第1子の姫を死産、
今参局が呪詛していたという風説が立ちます。

今参局は島流しになりますが、
風説以外にも深い理由がありました。

今参局は乳母あがりの愛妾で、勢力を強めて
幕政にまで介入する専横ぶりでした。

いずれ排除される運命だったと悟ったのか、
配所への途中で自害します。


* 夫を軽視し政治の実権を握ったという点はどうでしょうか?

これは、軽視したくてやったのではない、というのが真実。

義政はよく言えば文化人で、政治に関心がなかったのです。
応仁の乱で都が廃れ民衆が困窮しても、庭園作りに没頭。

夫の代わりに出て行かなければ、と富子は思ったのでしょう。


* 困窮した民衆を踏みにじった、という点は?

富子はお金儲けのひとつとして京都の出入口に関所を設置。

そこで取った関税を自分の懐に入れていると思った民衆が、
一揆を起こして関所を壊すと、

富子はこれを鎮圧して関所を立て直します。

強気で押し切ったように見えますが、
関税収入がぜひとも必要な理由がありました。

自分の私腹を肥やすためではないことを、
民衆にはわかるはずもなかったのです。


* 天皇と不倫という噂については、全く事実ではありません。

応仁の乱で御所が焼けたため、
後土御門天皇は将軍義政の屋敷に身を寄せた。

一方の義政は別邸に移ったので、
富子と天皇があやしい、と噂が立つのも当然?

でも実は、富子に仕える上臈の花山院兼子との密通でした。
このとき兼子は皇女を出産します。


応仁の乱は富子のせいなのか?

応仁の乱は次期将軍の後継者争いが発端。

政治に無関心な義政は、早く引退したくて弟の義視を僧籍から
還俗させ次期将軍に任命します。

ところがその翌年富子が男児(義尚)を出産。
我が子を将軍職に就けたくなるのは当然の思い。

義視とその後見人・細川勝元と
義尚とその後見人・山名宗全が対立、

元はといえば管領畠山氏と斯波氏の家督争いから始まり、

東軍と西軍に分かれた守護たちがまた、
それぞれお家騒動や領地争いを抱えているという状況で、

利害が複雑に絡み合って応仁の乱は始まり、
途中で敵味方が入れ替わったりして泥沼化し、

11年の長きにわたり京都は戦場となって荒廃しました。


きっかけを作ったのは富子かもしれませんが、
戦は最初から富子の思惑とかけ離れて拡大し、

収拾がつかない状態になってしまったのです。

応仁の乱は武将たちの利害と意地の衝突によって
混迷を極めたのであって、

決して富子ひとりの責任とは言えないのです。

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守銭奴と言われた金儲けの目的は?

日野富子を悪女と評する最大の理由は“守銭奴”であったこと。

お金儲けが大好きで、
土倉(高利貸)に税を課したり、関所を置いて関税をとったり。

応仁の乱の最中にも敵味方両方に金を貸し付けて
蓄財したと言うのです。

その資産は現代の金額に換算して60億とも70億とも言われます。


しかし、実のところ
その莫大な富は彼女の元に残っていなかったのです。

いったいどういうことでしょうか?


じつは富子のお金儲けには立派な目的がありました。

戦と飢饉で飢えに苦しむ民衆に食事を与え、
火災で焼け落ちた御所の修復を行ない、

衰退しつつある幕府を運営していくには、
莫大な資金が必要だったのです。

夫は財政をかえりみず文化活動にいそしみ、
武将たちは戦にあけくれるなか、

富子は幕府の屋台骨を支えるために果敢に働いた
というのが真相のようです。


夫と幼い息子のために政治を行なうようになった富子は、
決して守銭奴ではありませんでした。

そして、息子と夫に先立たれた後も、
政治家の富子は失意を乗り越え幕府を守っていくのです。


応仁の乱を収束させた政治手腕

応仁の乱は、前述のとおり泥沼状態で11年も続きました。

最初の東軍西軍の大将・細川勝元と山名宗全が死んだ後もです。

武将たち、つまり男たちは面子と勝敗にこだわり、
引くに引けない状態に陥っていました。

このままでは戦は終わらない。
京の都は荒廃しきってしまう。

富子は戦を終わらせるために行動を起こし、

資金不足で居残る敵将畠山には軍資金を貸し付け、
面子を失って居残る大内には領土と官位を戻すよう働きます。


こうして武将たちを撤退させ、
応仁の乱を収束させた富子の政治手腕は公家の賞賛を受けます。

面子にこだわる武将にはできない、
日野富子ならではの方策でした。


応仁の乱を引き起こした悪女と言われる日野富子は、
むしろ乱を収束させた政治家だったのです。

 

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